偽りのフィルターに気づけた花冠を作る少年との出会い〜カンボジア〜
2013年
なんども行き来していた。
循環するものづくりがしたくて
新しい商品開発のためでした。
そのためにクメール語も勉強してた。
走り出しは順調だった。
現地の人やカンボジアで活動している日本人や海外の人など
どんどん人とも繋がっていった。
いつも新しい国に行った時
まずは街に溶け込んで見る。
ベトナムから入ってきてわかったけど
それ以降は自国での生産が難しくなっていて
ほとんどのものを輸入に頼っているため物価が高かった。
そんな悲しい歴史が背景にあるけれど
私にとっては出会う人出会う人がとっても暖かい人ばかりだった。
街の仕立て屋さんでシャツを作ってみた。
とても丁寧な手仕事でそれを見てワクワクしたのを覚えている。
仕立て屋の子供もお茶目で可愛かった。
そんな日々を過ごしていたのだけど
カンボジアで活動している日本人や外国人は
違うフィルターで現地を見ていた。
「かわいそう」「助けたい」
そんな思いで活動している人がとても多かった。
みんな一生懸命だった。
「この国を救いたい」と
そのうち
その人たちの話を聞くたびに
その意識に飲まれていくことになる。
そうだ。私も社会貢献をしなければ。と
現地の生産地や工場をめぐり
話がどんどん進むなか
カンボジアのためにと活動している人たちとは裏腹に
現地の人はそれを望んでいないようだった。
次第に活動している人たちの不満がたまっていく
なんで、怠けるんだ。
君のためだ!あなたのためにやっているんだ!
もっと教育が必要だ。と
次第に違和感がどんどん大きくなっていった私は
この一角で吐き気に襲われた。
数日間、何もやる気が起こらなくて
朝から日が暮れるまでプノンペン中心の公園をぼーっと眺めていた。
一緒に行動してた人たちとも次第に反りが合わなくなっていく。
君は思いやりが足りないね。
もっといろんなことに感謝するべきだ。
そんな「清く正しく美しく」の言葉で諭そうとする彼ら。
もううんざりだった。
そんな中、ある人にNPOがやっている学校を見に行かないかと誘われた。
教室を覗くと生徒たちはお行儀よく
きちんと姿勢正しく座っていた。
連れて行った方は自慢げに言う。
「素晴らしい教育の現場でしょ」
授業を見学していて私は驚愕だった。
問題を解けた子が問題を間違えた子の足を棒切れで叩くというものだった。
見せしめのように、それをさせるのだ。先生が。
もはや生徒たちが感情のない
ロボットのように見えてきた。
だんだん
いたたまれなくなった私は
教室の一番、後ろの方に移動した。
すると
男の子が先生の目を盗んで
花冠を作っていた!!
とても器用な手さばきと
彼からのワクワク感が私に飛び込んできた。
私は嬉しくなって涙が滲んだ。
出会いたかった感覚
忘れていた感覚
よかった
なぜかこの言葉が私の心から湧いて
ホッとしたのを覚えています。
始まりは純粋なものでも
次第に「正義」というものにすり替えられるのかもしれないと思った。
体の感覚は気づいているのに
「正義」という思考はそれを見せないように努力をさせるんだ。
疲弊させて麻痺させる。
体の感覚を麻痺させてしまうくらい
左脳は巧みだ。
「ただしさ」というものは
組織において機能するもので
とてもコントロールしやすいのだ。
純粋な教育が
このコントロールにすり替えられることが往々にあり
私もこの集合意識に飲まれていた一人。
抜け出そうと思った。
カンボジア入国の際に出会った
こんな素敵な笑顔を忘れてしまうくらいだったから。
どのフィルターで世界を見るか
私がどうしたいのか
思考が複雑化している時は
「私」ではなく外に意識が向いている時が多かった。
「私以外の何か」に
「私はどうしたいのか」
私に意識を戻すと
答えはいつもシンプルだった。
それに気づかせてもらえた
カンボジアの旅でした。
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