カンボジアに嫉妬していた
イメージとは曖昧なもので
人それぞれの持っている前提で
それはまるで違う世界となる
勝手に貧しいと思っていた
勝手にかわいそうだと思っていた
そう思いたかったんだと思う
当時、驕りたかぶっていたわたしは
違和感を感じつつも
そのフィルターのかかったメガネを外そうとしなかった
偽りのアイデンティティーを大事にして
ありのままで過ごしている姿を
今を楽しんでいる姿を捻じ曲げて見ていた
本当はただただ
羨ましく嫉妬していただけだったのだと思う
楽しそう幸せそうだと認めてしまうと
さらに自分の孤独感が増すような感覚だったのかもしれない
自分の中の孤独と空虚感を認めるのが怖かったんだと
そんな自分でいたから
正義感を盾にした
心が貧しくて寂しさに飢えている
外から来た余計なお世話な人たちを引き寄せた
彼らを見て感じた
ものすごい違和感と嫌悪感
彼らは私の写し鏡だった
そんな自分の姿を知ってしまって
吐いて吐いて吐いて
胃が空っぽになっても吐き続けた
高熱にうなされ一人ぼっちになった
そんな時
私に優しく笑顔を向けてくれた人たちは
私が嫉妬してた人たちだった
湧き出す感情に素直で
私が隠したがっていたものも平気で表現している
そして誰よりも今を生きて
そのままを体感している
何をカッコつけてたんだろう
弱さを見せれるって自然なことで素敵じゃないかって
そう思えるようになった
自分の在り方に
嘘や偽り隠し事をなくしていくと
外側の現象が今までと同じであっても
感じるエネルギーが軽い
感じるエネルギーが軽いと
外側にテコ入れしようなんて思わなくなる
ただそのエネルギーを堪能したくなる
そうすると現実世界で
おもしろいくらいに
くるっとカードがひっくり返ることが起こってくる
あんなに躍起になって疲弊して得たくて得られなかったことが
ポン!って差し出される現象が起きてくる
その優しさに戸惑ってしまうくらい
奇跡ってそうやって
起きていくのかもしれない
អរគុណ។